囲炉裏端(仲間の集い場) 224927

強迫性神経症 | 強迫性障害 | OCD体験記・子育てブログの掲示板 「おっちゃんの囲炉裏端」です


1:うめちゃん :

2010/07/18 (Sun) 22:50:13

波があるけれど、強迫さんはよくなりつつあると感じている今日この頃…

『強迫さんがいなくなってしまったら、私は、どうなってしまうのだろう』と
新たな悩みがフツフツと湧いてきた。

強迫さんは治って欲しい、でも、もぅ、本当の自分って忘れてしまったから
『強迫さんの自分−強迫さん=本当の自分』というのが解らない。

先生にもカウンセラーにも『強迫とうまく付き合って、自分で解決策を見つけている』と御墨付きだからこそ、強迫さんと離れる事が寂しく思える。

なんだろう、この感情は。贅沢な悩みだとは解っているけれど、強迫さんは同居人だから複雑………


2:おっさん :

2010/07/19 (Mon) 00:22:08

うめさん
その感情はね、必然のものらしいです。
強迫が寛解してくると、多くの人は、次の私を見つめて不安を感じると、
娘の主治医がおっしゃっていました。

私の娘は、難聴があるので、十年前に、今の先生と初めて出会ったときに、言われました。
「娘さんは、強迫の症状が軽くなったと同時に、難聴と言う問題との闘いがはじまります。」

こう言われた時、その問題は、もう何年も闘っている問題やけどなあって思いました。

でも、今、娘の強迫も、もちろん寛解とまでは、いっていませんが、
「マシ」ではあります。

ところが、マシになって、娘も私も、前にも増して辛いのです。

「出来るもの探し」「可能性探求」そんなものに気づいたところです。
気づいて闘い始めたところです。
発作にもがいていたころ、相手は、慟哭と、暴力だったり、自傷だったり・・・
苦しいものですが、的がはっきりしている闘いでした。

まだまだ、仕事にいける娘ではありませんし、強迫との闘いが終わったわけではありません。
でも、仕事をしたい、社会に出たい、「おはよう」と言える仲間が欲しい。

これはね、贅沢な悩みなどと言うものではないのだと、私は思います。
解らないです。
解らないことだらけです。
「本当の自分」って、どの人なのでしょうね。
「今の自分」「強迫と共に歩んでいる自分」は、「本当に自分」ではないのでしょうか?
私は、私自身も、娘も、「今生きる自分」が「本当の自分」だと思っています。
「明日生きる自分」もまた、「本当の自分」だと思っています。

とりとめのない話になってしまいました。
どうも言いたいことが言えていないようです。
でも、まあ、このままで投稿してしまいます。

また、考えがまとまったら、お話させてもらいます。
3:うめちゃん :

2010/07/20 (Tue) 16:48:44

今日は心療内科の日でした。
先生も、おっちゃんと同じ事をおっしゃっていました。
私も『社会貢献しなくちゃ』『夫の負担を減らさなきゃ』と色々な『頑張る事は何か』が頭を駆け巡っています。不安です。
でも、ここが、ある意味、頑張り時、焦らない頑張り時なんだと思いました。
まだまだ時間はあるのだから、ゆっくり一歩を踏み出す準備を、頭も心もしなくちゃいけないんですよね。強迫さんとも、しっかり相談しなければならないし。

やっぱり私には強迫さんが必要です。だけど強迫さんに依存しない生き方を考えてゆきます。
ニコニコして過ごしてみたいから。
4:おっさん :

2010/07/20 (Tue) 22:15:38

うめさん
優等生のうめさんは、強迫性神経症をも、悪く言うのを、控えてきたのではないかなあ?
優等生からの脱却が、なかんか出来ないのでしょう?
がんじがらめの優等生の道を歩いてきたのじゃないかなあ?

この辺でね、そろそろ、強迫を、憎んでもええのじゃないかなあ?

ちょっと、おっさん、びくびくしながら、言ってるんやで。
言ってることが当たってなかったら、いけないなあって思いながらね。

でもね、当たってなかってもええわ。

うめちゃん、一度、強迫の悪口、言ってみろ。

そしてね、ニコニコ過ごせるように、一歩踏み出してみろ。

無理せんでええんやで。
これって、どう思うって、おっさんの質問にしとくわ。

そうでないと、うめちゃんは、
「せっかく言ってくれてるんやから、やらんとあかん。」って考えてしまうやろ?
そんなふうに考えなくてもええんやで。

おっさんの言うこと、なんとなくでええから、考えてみてくれ。
5:うめちゃん :

2010/07/20 (Tue) 23:29:51

ピーク時は、強迫さんを、とことん恨んでいました。
『強迫さんのせいで、私は死なざるをえなくなった』と毎日死のうとしていました。

家族旅行にママは行けない、電車に一人で乗れない、子供達に優しくできない→娘は円形脱毛が出来てしまう…
恨んで恨んで、毎日泣いて、朝が来ると落ち込んで。


でも、マシになる少し前に『強迫さんと共存している自分』に気づいたんです。必要性があるから私の脳内に強迫さんが来たんです。決して夢ではなく。 理不尽な事ばかり言うけれど、それで、何かから私を救ってくれているんです。

悪口…『ちょっと黙ってて』『今日はドタキャンさせないで』『知り合いに挨拶ぐらいさせてよ、コソコソさせないでよ』『もぅ薬は飲みたくないよ』

いっぱい、書ききれないくらいいっぱいあります。

でも今は恨めません。育ったった環境が大きく影響しているけど、それは、その時に不自然な生活ではなかったし、大人になってから実は結構ヤンチャしているけど、根が真面目である事には感謝しているし。

病気を恨んでもしょうがないです。
他の病気と同じ、誰が強迫神経症になるか…選ばれてしまっただけです。

引越してくる前の、梅田だった頃の『うめちゃん』も、時期的には強迫持ちだったはずです。


皆がツライと感じている中『強迫さんと、うまく付き合っている』と言ったら、羨ましいと思ってくださるのではないでしょうか。

毎日、気分も考えも、強迫さんの意地悪も変わります。
でも、今この一瞬の一言は『強迫さんと一緒に棺桶に入る』です。それが天命だと。大丈夫、死に急ぐような事はありませんから。
私なりの『ちゃんと』で生きていければいいです。


6:おっさん :

2010/07/21 (Wed) 12:22:16

うめちゃん
なるほど、そうやなあ。
おっさんは、凡人やから、どうも、「強迫さんと共存」なんて表現についていけなくてね。
正直な告白ですよ。

でもね、これで、なんとなく解ったわ。
「必要性があるから私の脳内に強迫さんが来たんです。」

そういうことやなあって思ったわ。
心が壊れそうになっているのを、助ける為のものかもしれん。
そんなふうに考えれば、ええのかなあ?

また、凡人の拙い発想やからね。
追求していって、答えに当たらなくても、別にいいけど、また、教えてな。

”ええかげん”な話でええからね。

7:うめちゃん :

2010/07/21 (Wed) 12:58:34

私こそ凡人です。
おっちゃんは、私達を救ってくれた、凄い方です。

優等生的な答えではなく、投げやりでもなく『共存』がベストな状況です。

病気を恨んでも治るわけではないし、また泣いてしまうだけ。毎日泣いて泣いて、その上に泣いたらブスになっちゃいます。
悪口も、お釈迦様がダメだって説いていらっしゃいます。私が足に彫っている【掲諦掲諦(漢字は変換できなかったので、多少違いますが、ぎゃーてーぎゃーてー)】は直接的には『行こう行こう』、意味は『行動しよう、実行しよう』
もう一つの【究竟涅槃くぎょうねはん】は『他人の為に本気で祈る心境』です。悪口は、その人の良いところを発見できなかったから。他人を違った角度から見て、適材適所いかしてあげる…祈れば、真心に感応すると言うのです。

強迫さんは人間ではないけれど、人格があるように感じませんか?
必要だから、その人に強迫さんが住み着いたわけで、嫌うだけでは解決・治癒には向かわないと思うのです。


なーんか、真面目で嫌になってきました でも、私は、お釈迦様に従いたいし、強迫さんを無条件に嫌いたくないです。誰よりも一緒にいる時間が長くて、誰よりも私を知っているのだから。

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