囲炉裏端(仲間の集い場)
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強迫性神経症 | 強迫性障害 | OCD体験記・子育てブログの掲示板
「おっちゃんの囲炉裏端」です
囲炉裏の火
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1:おっさん
:
2011/12/02 (Fri) 04:24:11
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ずいぶん長くウトウトしてたら、いろんな話、聞こえてきてて、
悲しむ声やら、励ます声やら、すこしだけ入ってきて、また家に帰ったり、
泊まりに来たり、囲炉裏の火、それぞれが継ぎ足してくれて、チロチロ燃えてる。
「おっさんは、ほったらかしや」って怒ってた声もきこえてたなあ。
おっさん、余計なお節介、よくするんやけどなあ、
ここでは、あまり、お節介しないでおこうって最初から決めてたんや。
ブログは、管理人やけど、囲炉裏の部屋は、出入り自由で、
たまたま、今 来ている人が、それぞれ、お茶を入れたり、お菓子を持ってきたり、
泣いてる人がいたら、背中を誰かが、さすってあげたり、
黙って本を読んでいたり。
でも、寂しくない。
そんな囲炉裏端があればいいなあと思っていたからなあ。
長く居眠りしていたら、そんな囲炉裏端になってきたかなあって思えて、ちょっとニヤニヤ。
居眠りしている間に、脳梗塞なんて病気にかかって、
お医者さんに、「このまま死ぬ人もいます」なんて怖い話されたり。
おっさん、実は、弱虫で、娘の病気が酷かった頃、
お医者さんに、いつ治りますか?って聞いて、
「五年、十年、何年かは、解からないです」って答え聞いて、途方にくれて、
「治るっていうふうには考えないでください」って言われて、
意味もわからなかったころ、そして、どんどん、しんどい日が続いて、
余計に訳がわからなくなって、すがるものも無かって、
娘といっしょに・・・なんて、よぎったこともあったなあ。
その時、その頃、自分が病気で死ぬなんてこと考えてもなかった。
娘と闘っている自分を、「俺が死んでから、娘が解かってくれるように」なんて考えて、
ブログを書き出して、それでも自分が死ぬってことは実は現実に考えてなかった。
必死やったんやけど、”ほんまもん”じゃなかったのかなあなんて考えるなあ。
まだまだやけど、娘の強迫は、あの頃よりは、ずいぶんマシになったように思う。
でも、強迫と、やみ雲に闘うことに少しの隙間ができた今。
自分の人生を振り返って、自分の年齢を考えて、二十歳すぎから三十五歳までの、
輝いているであろう、楽しいこと、嬉しい事に出逢えたであろう年月を悔やむ娘。
これからの生活を不安に思う娘を見ていると、
俺が助けてやれることの無い虚しさの様なものを感じてしまう。
続いている闘い、終わることの無い闘いを生きて、そして消えていくのが人生なのかな、
そんなふうに考える。
今、迷い、悲しみ、苦しむ娘と、夜中の祇園八坂神社に参拝してきて、
年老いてきている自分を感じて、
愚痴のような情けなさなのか、それとも開き直りのような平常心なのか、
沈んだような、それとも、落ち着いたような感慨の中にいる俺。
今日は、この囲炉裏の火が、とても温かく心地よいものに感じて、
うまく表現できないのだけれど、独り言を、囲炉裏にむかって呟いている。
おっさんの吐き出した心の言葉。
まったくの独り言なので、聞こえても、知らんぷりしておいてな。
おっさん、こんな独り言を「うんうん」って聞いてもらえる囲炉裏端が嬉しい。
この囲炉裏の火、温かくて心地よい。
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2:yumi
:
2012/01/01 (Sun) 20:25:58
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おやじ、yumiだよ。
おやしは頑張りすぎなんだよ。
おやじが、いくら頑張っても
娘さんの頭の中には
入り込めないよ
おやじの助けも ありながら
私達は頑張る事ができる。
私事だけど
yuiは幻覚が言えなくなったよ
これも 自分の力と周りの助けだよ
おやじ、疲れてるんだよ
おやじが 疲れてたらだめだよ。
おやじは もっと大きな気もで
大きな心で失礼だけど
娘さんを 少し離れた所から
見守ってやるって事も
できるはずだよ。